2019/09/10/Tue
三島由紀夫の少女歌劇観=想像力の共感(男役を味わうための暗黙の了解)│短編『真夏の死』より
三島由紀夫自選の短編集『真夏の死』。20年ぶりくらいに読み返したら、購入当時は読み飛ばしていた部分に目が止まりました。
キーワードは「少女歌劇」。
三島の目を通した少女歌劇とはどのようなものか。
なかなか興味深いテーマです。
三島由紀夫と少女歌劇―『真夏の死』より
「少女歌劇」の文字を見つけたのは、短編集のタイトルにもなった『真夏の死』。
戦後間もない昭和27年(1952年)10月の『新潮』に掲載されました。
“伊豆今井浜で実際に起った水死事故を下敷きに、苛酷な宿命とそれを克服した後にやってくる虚しさの意味を作品化(内容紹介より抜粋)”。
海水浴中の事故により、ふたりの子どもと義妹を喪った生田朝子(ともこ)。
良心の呵責を紛らわすように享楽にふける朝子。
そこで、少女歌劇が取り上げられるのです。
朝子は漠然と新らしい興行物や活動を見てまわり、良人が留守のあいだの連れを、昔の学校友達の閑(ひま)な夫人たちの中からえらんだ。ある夫人は少女歌劇の男役に夢中になっていた。それを莫迦(ばか)らしいと思いながら、朝子はそういう一組と一緒に食事をした。[p.181 l.7-9]
「少女歌劇」とは、どの団体を指すのか?
昭和27年当時存在した主な少女歌劇団は「宝塚歌劇団」、「大阪松竹歌劇団(現:OSK日本歌劇団」、「松竹歌劇団(SKD)」の3つ。
さて、どれでしょう?
ヒントは少し後に出てきます。
楽屋を訪れることがある。男役は白の燕尾服を着て、友禅の座布団の上に横座りに座っている。まわりの壁には第二場以降の西班牙(スペイン)風の衣裳が掛け並べられ、その下に目白押しに崇拝者たちが居並んでいる。彼女たちは殆ど一語も発しない。男役の一挙一動を凝視して、息を殺しているのである。[p.181 l.12-15]
楽屋着ではなく衣裳で座布団に座るなんてことがあるのか(シワになりそう)?
オープニングが白燕尾で次の場面がスパニッシュ(マタドール?)ならば、演目はレビューなのか?
無言で座り込んでいる崇拝者たちとは、楽屋見舞いに来た熱烈なファン?追っかけ?それともお付きの下級生なのか?
三島は少女歌劇にどれほど親しんでいたのでしょうか。
楽屋の様子は三島の創作なのか。
もし、これが事実なら当時の様子を窺い知ることのできる資料としての価値もあります。
歌舞伎に詳しい三島なので、その楽屋の様子を少女歌劇に当てはめたのかもしれません。
さすがに彼にとって少女歌劇の楽屋は禁断の花園ですから、詳しい女性にでも取材したのでしょうか。
三島由紀夫の少女歌劇観―“想像力の共感”
朝子が少女歌劇を好まないのは、その俳優と観衆のほとんどが処女だというところにあるらしかった。友達の夫人のような異例も多い。しかし少くとも俳優のほとんどが処女であることは疑いを容(い)れない。[p.181 l.16-18]
「団員=処女」の記述は、当時の一般的な認識によるものなのか?
「歌劇団=花嫁修行学校」であることに照らし合わせてのことなのか?
または、三島の個人的な感覚を登場人物(朝子)の口を借りて語らせたのか?
この白い燕尾服の男役は処女である。彼女は何も得ず、何も失わない。手鏡を見て、細い指先で口紅を直しながら、借り物の男の中へどうして身を投げ入れようかと苦慮している。ここの観衆が男を想像するように、彼女自身も男を想像しており、そこには錯覚以上のもの、想像力の共感が成立つにいたり、宣伝文はこうした心理作用を「夢」という言葉で一括するのがならわしである。[p.182 l.1-5]
「手鏡を見て、細い指先で口紅を直す」。
極めて女性的な仕草に潜むアンビバレンツ。
すなわち「借り物の男の中へどうして身を投げ入れようかと苦慮する」。
続く一文に、三島の少女歌劇観が端的に表されます。
「観衆が男を想像するように、彼女自身も男を想像する」
「そこには錯覚以上のもの、想像力の共感が成立つにいたる」
「宣伝文はこうした心理作用を『夢』という言葉で一括する」
「想像力の共感」。
女性が男性を演じる少女歌劇に欠かせない要素ですね。
「男役」という存在を味わうための暗黙の了解。
三島がこれを正確に理解していたことに驚きました。
今も昔も変わらぬ歌劇の魅力―夢、美、憧れ
非現実の舞台で紡ぎ出される「夢」。
その「夢」が内包するものは「美」であり、「憧れ」であり、劇団と観客が長年追い求めたものと言えるでしょう。
実際に少女歌劇の舞台を観たことがある者の感覚と、それによって生み出される描写だと直感しました。
舞台裏を抜けて客席へかえるために、朝子と友達の出足はすこし遅すぎた。階段を下りて来た半裸の踊り子たちの間に揉まれて、二人はお互いに相手を見失った。朝子はこの白粉の匂いと絹のざわめきの中に、自分が享楽と呼んでいるものの救いがたい混乱と雑駁を見出した。[p.183 l.10-12]
どの劇団がモデルなのか、ヒントはこれ。
踊り子たちは短い大阪弁の会話を投げ合いながら舞台のほうへ雪崩れてゆく。[p.183 l.12-13]
関西が拠点の劇団は宝塚と大阪松竹。
松竹は浅草なので、大阪弁を操る団員が複数いたとは考えにくいですね。
となれば、三島の言う「少女歌劇」は宝塚と大阪松竹のどちらかに絞られました。
一人の踊り子の黒絹のパンツに、大きな鍵裂きの跡の縫われているのが目についた。この質実な縫目は、朝子の質実な心に親しく触れた。(中略)継ぎをした黒絹の腰は、ほかの大ぜいの黒い腰に紛れてしまい、張物の裏の薄明の彼方へ去った。[p.183 l.12-18]
きらびやかな夢の世界から一気に現実に引き戻すひとつのほころび。
主婦であるヒロインならではの視線を細やかに描き出した三島の筆が冴えます。
つくろった跡の残る衣裳を身にまとい、精一杯の笑顔で舞台に立ち、夢を届ける少女たち。
華やかな舞台の裏に隠された、役者稼業のおぼつかなさ、猥雑、哀愁。
しかし、それらを振り切る少女たちの健気さを、かぎ裂きひとつで浮き彫りにする手腕は見事。
辛いことなど微塵も感じさせない、輝くような懸命さこそが少女歌劇の醍醐味。
2ページほどの短文に、そのエッセンスが凝縮されています。
ある作品から本筋とは外れる特定のモチーフだけ抜き出し、あれこれ述べるのは作家の意図するところではないかもしれません。
しかし、その中から今も昔も変わらぬ(少女)歌劇の魅力を拾い出せたことは嬉しい発見でした。
※すべて、三島由紀夫著/真夏の死―自選短編集―/新潮文庫(平成6年4月20日 42刷)より抜粋
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